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名前 | 田村 省三 |
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年齢 | 秘密? |
趣味 | 囲碁、山登り、海釣り、山菜取り、家庭菜園、ダイソーのナンプレ・クロスワード |
メール | shochan2421@live.jp |
最近(2020/2/1)Lizzieをパソコンに入れた。まだ、使い慣れていないが、Lizzieを使うことによって、新しい発見があったので、それについて記したいと思う。
日本棋院の棋譜管理ソフト 「棋院エデッタ」(Kiin Editor)を長年、使っていたが、「ヘルプ」に3.5棋譜のコピー、3.6棋譜の貼り付けって何だろうと長年思っていたが、
「幽玄の間」を利用して、「棋譜保存」をクリックして自分のパソコンに棋譜を保存した時、
「幽玄の間」の右上の「保存棋譜」をクリックし「自分のコンピュータに保存した棋譜」を開き
棋譜を1つ選び、コピーし、右のフォルダの上の方にある「Kiin」の+をクリックし、「Kiin Editor」を選び、右クリックで
「貼り付け」すると棋譜がコピーされる。「幽玄の間」のプロの棋譜をKiin Editorで開くことができる。棋院エデッタは101手以上は2桁
で印刷できるので棋譜が見やすい。「幽玄の間」の棋譜の拡張子は.NGFで棋院エデッタの棋譜の拡張子は.ugfである。
棋院エデッタを使えば、拡張子.ugfから.sgfにすぐ、変えれる。リジーが検討できる棋譜の拡張子は.sgfです。名前は変えなくてよい。
朝日新聞の名人戦の棋譜の保存形式は.ugiであるが、「棋院エデッタ」で.ugfや.sgfに変換できる。
デスクトップに棋譜sgfのフォルダを作り、sgfの棋譜を入れておくとよいと思います。
平成28年10月の上旬にデーリー東北新聞のメモ欄にノルデック・ウォークの体験会の案内が載っていたのを見て、二回ほど、
参加してみた。というのは、最近、運動不足を実感しているからです。長年、飼っている我が家の愛犬、ラッキーちゃんも15歳になり、
歩くのもままならず、夜鳴きはするし、尿も漏らす(柴犬の雑種です)ので、妻は老犬の介護でたいへんです。室内で最後を看取って
やりたいと赤ちゃん用のオムツに切れ目をいれてしている。一緒に寝ていると安心するのか、やや夜鳴きは少なくなった気がする。
元気な若い時は朝、家の近辺を20〜30分かけてほぼ、毎朝散歩していた。私の運動不足の妙薬であった。老化は足から始まると言われている。
妻と私は意を決して、会に入会することにした。年会費3000円です。あとは、ノルテ゛ック専用のポールを買いに、山用品の店に走った。
約10000円ぐらいです。これで、若さを買えるなら安いものです。二人ではまだポールをもって歩いてはいないが、菊池代表を先頭に皆であるけば
怖いものはない。ちなみに、菊池代表は八高の先輩の9回生だそうです。冬も歩くそうです。来年、2017年(平成29年)1月の水曜日、土曜日
の朝10時ごろから12時ごろまで歩きます。白山台ニュータウンのユニバース向かいの公園から寒くない服装であるきます。
興味ある人、詳しく知りたい人はHPをみてください。私も、週1回ぐらいは、来年も元気で歩くぞーと思っています。
2h>新幹事長の奥野さんから、「八戸支部のHPをつくってくれないかい?」と言われ、私には無理と断ったのですが、「ぜひに」と言われ
はじめて、HPを作りました。老齢にムチうち、四苦八苦しながら、WEBページのH T M L言語を勉強しながら、何とか、作りました。
日本棋院のHPに全国の各支部のHPが出ています。参考に、見せてもらったが、あまり、オモシロイものはなかったです。
このHPを面白く、役に立つものにしていきたいとおもっています。武宮先生ではないが、楽しくないとやる気がしないので、
これから、このコーナーに趣味のことなど追加していきますので、宜しく、お願い、しまーす。
私ことタムタムは2009年4月から家庭菜園を始めて、数年経ち、今年は8年目です。1年目は20坪、2年目は20坪を二ヶ所の40坪
今年は20坪を四ヶ所の80坪の土地を借りて、家庭菜園しています。なぜ増やしたかというと、カアチャンが小さいジャガイモ
を食べずに、ほっといて、芽を出させたので捨てるにすてられず…。種イモがないと思って、買ったため、さらに増え、今年は
ほぼ、40坪がジャガイモに占有されてしまった。まあ、20坪もあれば、一家族に十分です。
10坪 1000円でかりられます。まあ、普通は20坪 2000円単位かなー。
場所は八高の裏から、中居林にぬける沼のそばです。まだ、あいています。市民農園や中居林の方にも、あるようですが、自分の
住んでいる場所に近いのが一番、です。ただ、風が強いところなので、強風対策は必要かも。(2011年4月28日も強風でした)
借りたい人は、下記の地主さん(糠塚の消防署の前)にTELして下さい。場所は早いもの勝ちです。
私ことタムタムも日本棋院八戸支部の会員として復興イベントの囲碁まつりの準備から当日12月19日の?公開対局?百面打ちの
プロの指導碁?プロとの交流会に参加しました。交流会では矢代久美子五段のテーブルでした。矢代久美子五段には日ごろ分から
ない囲碁の疑問を質問し、快く、答えてもらいました。感謝・感激です。色紙とサインペンを用意して、サインをもらえるかどうか
聞いたら、「いいですよ」ということなので、サインをもらいました。どうも、ありがとうございました。
この機会なので、青木喜久代八段のところにいって、同様にお願いしたら、サインをもらえました。
心優しいお二人は快く、サインをしてくれました。感激・感激です。
(皆さんも、交流会など、棋士にお願いできる環境のときは、おねだりしてみては? 心優しい棋士なら…)
下はお二人の直筆のサインの色紙の画像です。囲碁が強くなるように念じて、ご観賞してください。
青木 喜久代八段のサイン | 矢代 久美子五段のサイン |
今年(2012年)も二回目の東日本復興のためのプロ棋士による指導囲碁大会が11月17日に八戸プラザホテルでおこなわれました。
来八した棋士は工藤紀夫九段・青木紳一九段・石田篤司九段・山田至宝七段・林子淵七段・奥田あや三段の6名でした。
多くの八戸支部会員がプロの指導碁を受け、勝ち負けにかかわらず、大きな感銘をしたことと思います。プロの皆様に
感謝とお礼の言葉を(末席の私ですが)申し上げたいとおもいます。続いて、6時30分からのプロ棋士との交流会にも
多数の参加がありました(昨年より少し少なかった)。私も交流会に参加しました。今回も運よく、紅一点の奥田あや三段
のテーブル席でした。NHK杯の棋譜読み上げで有名な女流棋士ですねー。最近は謝依旻女流本因坊に挑戦し、おしくも、
負けた2012年の月刊碁ワールドの11月号の表紙を飾った奥田あや三段ですねー。写真よりも実物のほうが、もっとかわいい
かったですよー。感激、感激で、お酒がおいしかったです。ここで、感動したエピソードを1つ紹介します。
今回はテーブルにB1グランプリで念願の優勝を果たした「八戸せんべい汁」の鍋がいい匂いしてコンロで熱く、煮立てて
いました。来賓の挨拶もあり、棋士の挨拶でも早く、せんべい汁を食べたいというスピーチもありました。スピーチが終わり
私がさあ、熱いうちにと奥田様にせんべい汁を椀に盛ったとこる、食べる直前におしゃべり米田六段がよそのテーブルから
来て、ながながと、小難しい話をだらだらと、しだしたではありませんか!。無神経な米田めーという私の思いとは、裏腹に
奥田棋士は嫌な顔1つせず、食べもせず、話をきいておりました。この謙虚さ、奥ゆかしさ、人柄がにじみ出ていますねー。
二次会のカラオケでは青木・工藤の両先生も歌っておりました。楽しかったですねー。三次会は八戸の有名な横丁へ。
お酒も囲碁も強く、乱れない奥田棋士、「お嫁さんにするなら奥田あや棋士」と皆さん、絶賛してましたよー。
また、どーぞ、八戸においでやんせー。感激、感激でした。
交流会では色紙の抽選会がありました。奥田さんの色紙は私へ!!。あたらなかった人は下の
色紙をおがんでくんせー。"囲碁が強くなりますように…"祈れば叶うかも…。
工藤 紀夫九段のサイン | 青木 紳一九段のサイン |
石田 篤司七段のサイン | 山田 至宝七段のサイン |
林 子淵七段のサイン | 奥田 あや三段のサイン |
最近(たぶん、2015年だったか)八戸地区の囲碁の普及と発展に寄与された蓬田先生がお亡くなりになられた。
葬儀に参加した時、蓬田先生の最初の赴任地の三戸高の同僚の長い、故人を偲ぶ言葉で立崎先生の送る言葉も霞んで
聞こえた。私が最初に蓬田先生と出会ったのは茨城県の私立高校をやめて青森県の教員の試験を受けて合格し、最初の
勤務高の八戸北高校であった。昭和51年頃の事であった。先生は図書部主任をしておられたと思う。立派な先生だが
校長になることなく趣味の囲碁を楽しみ、北高校の囲碁の顧問をし、青森県の高校の囲碁の発展に尽力された。
私は10年間北高にいたが、蓬田先生はその後退職まで北高にいたように思う。北高校には囲碁の愛好家が多数いた。
鳥谷部、竹井、武尾の高段者を筆頭に前田,河西 など〈級囲者だったと思う)私も末席の方にいた。北心会という囲碁の
愛好会を作っていて年に何回か泊りがけの大会をやっていたと思うがもう忘却の彼方の事になってしまった。
大会でもらった秀行先生著の「秀行創作詰碁傑作集」(日本棋院発行)2800円をまだ1回も目を通していないので、
これから勉強しようと思っています。昔の高校は今みたいに、世知辛くなく、北高の校風のように自由でおおらかであった。
昼休みなど休憩室(職員室のわきにあった)で鳥谷部さんと蓬田さんが早碁を打って、鳥谷部さんが頭が熱くなり、何回も
負けて、何目も置いている光景が目に浮かぶ。詰碁も私らが解けないでいるとサット解いていたのを思い出す。蓬田さんは
高目や大高目が好きで、模様の碁であった。私なんかは何目も置いても勝てない記憶しかない。大会のときは賞品用に
(大)風呂敷をいつも用意していたのを思い出す。私は麻雀の方が好きで土曜の午後はほとんど麻雀であった。竹井さんは
麻雀が弱くて、麻雀を止めると言って碁に専念したので強くなったように記憶している。柳沢さん、竹井さん、佐藤(こう)
さんは八戸駅近くの蓬田さんの自宅で囲碁に励んでいたようだが私は数回しか行ったことがない。柳沢さんは囲碁のために
先生を五十数歳の時に辞めた話は有名である。今の学校の雰囲気は余裕がなく、先生方も訳のわからん評価だか何だかのため
かあまり楽しい雰囲気でないような気がする。教育委員会はお固いひとや権威の人が多いようで私の好みではない。
「自由な雰囲気の中での教育」を楽しみたいと思うのだが……。囲碁の普及では前幹事長の竹井七段が尽力されているが
私も日本棋院の普及の一環として小学校での囲碁の普及に2015年に八戸市立八戸小学校の放課後のクラブ活動に
竹井、奥野、私の3人で参加させてもらった。4年生〜6年生の12名の生徒さんに年10回の「囲碁」のクラブ活動に参加させ
てもらった。(指導は竹井先生が全部やった。)最初と最後はプロ棋士の古川こんゆ先生が指導してくれた。若い小学生の
子供たちが廊下で出会うと元気にアイサツしてくれると心がワクワクしてくる。デキの悪い娘もお世話になった校長の橋向
先生がいろいろなクラブ活動の担当者を外部から招く慧眼には大変、感動を覚えました。(私はあまりエライ校長は好きでは
ないのですが)橋向校長先生は好きになりました。囲碁の「考える力」「先を読む力」など自分で考える力を育てるのに大変
よいと思います。本来、勉強とは、自分で学ぶことであって、人から教えられたり、知識を多くすることではないと思います。
私事ですが中学2年生の時、数学の山田(ボンタと愛称)先生が先に独学で進めと言われて、冬休み中に中学3年の数学を終わった
記憶がある。(教科書は兄たちのを使った。おかげで、授業をきいてなかったので頭をゲンコツでなぐられた。数学の田畑先生
にはオオフクビンタを食らった。が、田畑先生とはまだ年賀状のやりとりをしている。高校、大学と数学はほぼ独学です。)
私は高校では主に、生物を教えていましたが受験のための生物であり、知識のための生物あったようなきがします。
八戸市立図書館に小学生が観察したダンゴムシなどの小冊子が置いてあったのを見たとき、大変、感銘を受けました。(私よりも
スバラシイと思いました。)最近、八戸の古本屋で露木 和男著の「毎日の授業、その思想(授業者しとての生き方を
もとめて)」(学事出版)という高価な本を100円で、気楽な感じで買いました。小学校の生活科の授業の事を書いている
ようです。小学校で何を教えているのか分からなかったので読んでみました。大変、面白かった。難しい用語は分からなかった
がその思想は少し理解したと思う。難を言えば理論化のしすぎのようにも思った。集団の学校の授業、教科書内容の授業なんて
知識の羅列で、不思議さ・面白さなど感動はない。自然は不思議で、知る楽しさにあふれていると思う。
横道にそれたので、蓬田さんの囲碁へ
2016年の新春の下長公民館の囲碁大会に沼山七段も来ていた。最初の相手、沼山七段に2子置いて負けた。沼山翁は元気で
お酒を飲み、ビールの差し入れをして早く帰って行った。昔、八戸駅の向いの居酒屋の2階で蓬田さん、沼山さん達と大会の帰り
だったかさだかでないが生ビールをジョッキで飲みながら碁を打った事を思い出した。若い娘がいるスナック好きの佐藤さんと
大高目の蓬田さんは天国で何だかんだ言いながら碁を打っていることでしょう。下の蓬田さんの碁をならべて、故人を偲んで…。
(2016年1月25日 記)
前々から囲碁の勉強になる欄を作りたいと考えておりました。私も含めて、中級者に役立つような囲碁のポイントを
問題形式で画像でのせていきたいと思います。普段、勉強していても、三歩も歩かないうちに忘れてしまうので、自分
の勉強のためにも頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いしたします。
解答は画像で「インフォメーションと囲碁あれこれ」の方にのせてあります。画像を印刷(画像の上で右クリックして
「画像の印刷」を選んで印刷)して、勉強すれば良いと思います。皆様の囲碁勉強の一助になれば幸いです。